【ありがとう“S”さん】Success Story04

「ああ、今津さん。明日のスケジュール空いてないですか?」
電話の奥から数年ぶりの懐かしい声が流れてきた。
Sさんからである。
どうしたことか?ある大病院の15号室でお会いしたいと言う事だった。

Sさんは高級ホテルの客室を思わせる豪華な病室で、満面の笑みをうかべ我々を迎えてくれた。
パジャマ姿で少しやつれた感じはするが元気そうである。
息子を紹介し軽い世間話の後、息子さんや娘さんを交え自宅のリフォームの打ち合わせにはいった。
相変わらず彼は高価な洋書のインテリア雑誌をひろげ、ああしたい、こうしたい、と夢を語りだし自宅での療養にも使えるプランを大至急創ってほしいという話だった。
その住宅というのはデザイナーが独立する決心を固めたー作目の大仕事だったのである。
オーディオルームに吹き抜けの大きなリビング、お茶会も出来る和室など地方都市には珍しい洋風の大豪邸だった。

名家の一人息子で育ったSさんは不思議なことに田舎大工の6男育ちで貧乏人のデザイナーと友達の様に付き合ってくれた。
やがて彼が社長になると次々と事業を拡大し、持ち味の人間味で人の輪もあっという間に広げていった。
デザイナーにも次々と仕事を依頼し、立派な本社屋までおも創ってしまった。

 若い頃のSさんはコップ一杯のビールでも真っ赤になり、クラシック音楽を聴く事が唯一の趣味であり、どうみても奥さん以外の女性は知らないという青年だった。
若いわりにネオン焼けし世間のドロドロを生きてきたデザイナーから見ると、俗世間をまったく知らないSさんがトップとしてやっていけるだろうかと思う様になっていた。
彼を誘えばご馳走になれる有り難さも手伝いちょくちょく名古屋の錦界隈を案内して廻った。
ところがどうだ、10年もすると錦を歩けば「社長、社長」と黄色い声は掛かるは、会員制のカードキイで店内に入るといろんな国の女性がいて店外デートもOKとゆう夢の世界までをも知る驚くべき成長をしてしまった。

この病気になった原因は今度の仕事によるストレスだと思う。
くやしそうに語った彼はまたまた大勝負を掛けていたようだ。

元気そうにみえたが、自宅をリフォームすることなく1ヶ月余りで電話の届かない世界へ行ってしまった。
亡くなる前日の夜までデザイナーを呼び夢の話をしていたのは、いっしょに酒を飲み、会社をどんどん大きくして行った元気な青年時代に戻りたかったのではないだろうか。
男の夢、錦の帝王にも間違いなくなった。
会社も大きくした。しかしそれがどうだと言うのだ・・・・・・・・・・・・。 

「55歳を過ぎたら会社をゆずりクラシック音楽が流れる小さな音楽喫茶をやるんだ!」
そう言っていたSさんの本当の夢のお手伝いが出来なかった事が残念でしかたがない。

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